フェラーリが気になる
最近フェラーリが気になっています。
え?なぜって?
何という事はありません。
旦那さんが毎日フェラーリの話をしてくるからです。
フェラーリってまじまじと見たことがなかったし、レースに使われているんでしょうとか、高級車でしょうとか、井原慶子さんが乗ってたよね、くらいにしか思ってなかったのですが、こう毎日フェラーリの話をされると否応なく、ちょっとは調べてみたくもなります。
で、普通にフェラーリのサイトをオープン。
あれ、何か結構かっこいいです。
旦那いわく、フェラーリは、技術工芸品なんだそう。
確かに、過酷なレースを乗り切る機体は将に技術の結晶でしょう。
それに加えて私が気になったのは、やっぱり機体のデザインですね。
フロントは、ちょっとバウンドすれば地面についてしまうのでは?と思えるくらいの低さ、そこからゆっくりと伸びるライン、奇をてらったわけではないけれども、特徴あるライト。「目」をイメージさせます。そして、その目の上には不思議なカーブを描いてフロントガラスまで伸びている造形が見られます。これって、何となく、強い目をイメージしているようにも思えるし、カーブの具合は、筋肉の盛り上がりのようにも見えます。まるで鍛えられた腕や背中の筋肉のよう。
特別なデザイナーを毎度雇って作っているということで、一つ一つの造形にこだわりが詰まっているように思えます。
ちなみに、唯一日本人でフェラーリのデザインを手がけたのは、奥山清行さんという方だそう。
個人的な話ですが、、
学生の頃から、デザインと技術の融合ってどこにあるんだろう?という問いかけが自分の頭の中の隅っこに、でも忘れられることなくありました。
日本の製造業に入社してからというもの、技術が一番、デザインは(一般の多くの人々が)使いやすいものを、かっこいい・美しいは二の次という観念が埋め込まれてしまい、良いデザインでは良い技術を広められないのではないか?という思いに捕らわれてしまっていました。そして、いつしか技術至上主義のサラリーマンに・・。
(会社辞めてデザイン感覚が少しだけ戻ってきた感じはありますが)
けれども、今回フェラーリを見て、少し考えが変わりました。
フェラーリは技術の結晶です。
そしてそのデザインも秀逸なものです。
多くの人がそのフェラーリのデザイン・技術の虜になり、新しい車体が出るたびに買い替えたりするのです。
技術は優れているのは分かります。
でも、もしですよ、最新作のフェラーリの技術は最高に素晴らしかったとして、デザインが微妙ならば・・・
買いたいと思う人は一気に少なくなるでしょう。
その瞬間、その車体は「フェラーリ」ではなく、
「技術が優れているただのメカ車体」
になり下がるのではないでしょうか。
優れているメカ車体は役に立ちますよ、ほら、
とにかく長距離を走るだけとか、耐久が優れているだけとか。
でも、優れたデザインがなければ、本当の意味で技術を称賛できないのではと感じます。
超車好きの人は、ガレージをガラス張りにして車体をいつも楽しんでいるという事を聞きます。(旦那さん情報)
それって、デザインと技術を両方賛辞ているのですよね。
見て楽しい・走って楽しい
目で見て、美しいと思い、その中に詰め込まれた技術の素晴らしさに思いを馳せているのです。そして実際の走りも素晴らしいと。
まあ、単純なことではあるのですが。
でも車好きの人を見ていると、
「走って(技術)楽しい」
が技術の進化により掛け算で楽しさが増えていくものだとして
「見て(デザイン)楽しい」
は掛け算ではなく、指数関数的に楽しさが増えていくものだと思えます。特に、古い車を好む人なんて見てるとそうではないですか?(中はボロなのにその外見に色んな思いを馳せて楽しんでいるんです。そしてボロエンジンが音を立てると更に喜ぶという)
ともあれ、
ただのメカ車体が、優れたデザインにより
技術工芸品
と呼ばれるレベルまでいく。
そしてそれを欲しがる人が居るのです。
これって、もしかすると・・・
デザインと技術の理想的な融合なのでは・・・?
おお!
自分の頭の片隅にずっとあった問いの答えが、なんとフェラーリから導き出される結果に!
ちょっと自分でも驚きの結果でしたが、
面白い発見ができました。
フェラーリ、間近で見てみたい思いに駆られました。(旦那さんに乗せられているだけかも・・!?)