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h-tg2’s diary

日々の雑感、投資、アートなど色々

難民問題

以下個人的意見。

toyokeizai.net

エセックス大とオーストラリア国立大で教鞭を執るティモシー・ハットン氏は、難民発生の主因は経済的な問題ではなく、政治的脅威と人権侵害だとする論文をまとめた。自分の生命を脅かされている人は、最も豊かな国ではなく、最も近い安全な場所に逃げるのであり、彼らを助ける道義的責任は免れないのだ。

 

そもそも難民は経済難民、経済問題とセットだと思うのですが、

情勢が混沌とし、破たんする国家、戦争になり負けてしまった国家が継続的に出現する以上、その国家に住む人の住居が無くなるなどで難民となる、このような現象は起こり続ける事でしょう。

では、そんな中、何が最も問題か?

というと、

難民に対する公共サービスをどうするか?

だと思います。

そもそも、戦争が始まって、終わるまでには、どちらかの国/政権が負けて難民があふれたとき、その難民に対する公共サービスをどうするか?は国連ともども最初から考えておいて欲しいところではありますが、そんな余裕もなく戦争始めちゃうんですよね・・・。

 

国と国との闘いの場合には、戦勝国が占領国に新しい政権を樹立し、そこで公共サービス提供の手筈を速やかに整えればよいのですが、だらだら戦争をやっている場合や、

内戦の場合には、

もうここには住めない!

と言って国を脱出する人が大多数出るのは不思議なことではありません。

 

難民には公共サービスも必要ですが、もっぱら仕事が必要です。いつ終わるわからない戦争を待つのに路上で暮らすことを選択することもないでしょう。

 

ということで、仕事がありそうな国々に散らばっていくのですが、ここで問題が発生するように思います。

仕事を欲しいという難民と、受け入れ国でミスマッチが起きたりします。

・そもそも難民を受け入れたくない

・自国民の公共サービスを賄うのに手いっぱいで難民を受け入れてどーのこーのは無理

・宗教があまりにも違いすぎて実は難民にも負担

などなど?

 

でもその問題ってホントに解決不可能なの?とも思う。

公共サービスは税金です。その国の国民にならずして公共サービスを受け入れることはできないのですが

 

では例えばこうすれば?

難民認定設定について、その国の国民とみなさなくても、その国の国民同様の比率の税金を課すようにする。ただしそれで徴収した税金はその国に移住してきた難民の公共サービスに使う(国民の税金と財布を別にする。もちろんその国に永住したいなら条件を満たせば国籍変更可とする)

 

仕事が足りない場所って実はある。

ちょっと企業に有利すぎではあるけど、難民の方に技能や特技を記載、データセンタにアップしておいて企業側が、この方を欲しい!

という制度にしておくと、企業が難民受け入れ後にミスマッチを感じることが少なくなるのでは?

また、仕事が決まった人はダラダラ国境を移動することもなく、直接その国へ向かうことも可能にすると?

スマホ持っている難民なんて写真も見る事ですし、そこで登録してもらって、と。

 

それから、そもそも難民を受け入れたくない という考えの裏は、

実は

仕事の問題、税金の問題、そして個人の自由、

人々それぞれが自分の幸福をどう定義するか

の問題だったりすると思うので、

それを解決すれば、おのずと解決に導かれるようにも思う。

 

 また、宗教上の問題は、

あまりに居心地が悪ければ他の国へ移るしかないですかね・・・。

 

ここまでグローバルに人が行き来し経済、企業が成り立っている今、難民移動にぐだぐだいうのも何か変な感じはします。

 

ま、頭で考えるだけは簡単だけど、

現実にはもーっと色々と問題はあるでしょう。

 

でも一応考えとくだけでも無駄ではないのでは?

と思います。

 

以上

 

・・・補足

移民とか、難民という言葉がイマイチ好きになれません。

一人ひとりの顔が見えないんですよね。

移民難民と称される人の中には、

牧畜が得意な人がいるかもしれない。農業が得意な人がいるかもしれない。子供を何人も育てた保育がうまいスーパーお母さんが居るかもしれない。料理の腕前が抜群の人もいるかもしれない。とび職をやらせたらぴか一の人がいるかもしれない。ゲームの腕前がチャンピオン級の小学生が居るかもしれない。裁縫がうまくて素晴らしい刺繍やレースが作れる女の子が居るかもしれない。

そんな一人ひとりの顔が見えてこないんですよね。

 

移民難民という言葉から、何をイメージするのか?

どちらかといえば、明るいイメージよりも、暗いものではないでしょうか。

貧困、そしてそれからくる犯罪・・。

そのイメージに捕らわれて、この問題を「難民を受け入れるべきか否か」だけの短絡的な二択問題にしてはいけないと感じます。

 

日本人にとっても、実は決して遠い問題ではないのですよね。事実、戦争し敗戦した日本人は難民でしたし、特に集中砲火を受けた町で家を失った子供たちはそれこそ戦争孤児、難民だったのですから。国内でも襲撃を受けていない京都などに避難した孤児らは、ボロボロの服で学校の授業に参加するとバカにされるなどの現実があったという事を心に留めておかなければと思います。

 この「竹林はるか遠く」では、日本から開拓民として朝鮮半島に渡って生活を築いていた日本人家族が、敗戦し命からがら日本の本土に戻ってくる様子、そして戻ってきた時の生活が書かれています。

 難民問題について、もし自分が難民となったら?

という視点を持つことも重要かと思います。